箇所をチェック

「反論しよう」と気負ってすると、必ず失敗します。なぜなら、ネトウヨも「外翼」も、「相手を屈服させる」ための論戦でしかないから。

そうではなく、本来 の論戦は、一つの理論と説明にたいして、疑問に思ったことをまずは調べ上げ、その矛盾点を相手に尋ねるわけです。どっちにしろ、必ず矛盾は起きますから。 恐らく都合の悪いことも出てくるんでしょうが、それは情報の観点の違いです。事実は一つしかないわけだから。だから、意見が分かれるのであって、そうなる と「都合の悪い情報」に対して覚悟せずにすんなりと受け入れられると思いますよ。

例えば、自分が読んできた南京事件に関する本は、殆どが左寄りの学者達が発表してきた『虐殺あった派』の嘘を証明する本[「南京事件の統括」や「仕組まれ た南京大虐殺」]なんですが、その前に『虐殺あった派』の著書を読んで見て、『怪しい』と感じた箇所をチェックして、その部分を『虐殺あった派』の嘘を証 明する本と照らし合わせてみて、そこの項目に書いてある事が、本当か嘘かを調べてみる。になるんでしょうか?
話がズレてしまいますが、自分が経済 に関する話をする時は、新聞やネットニュースの記事を一度読んで見て(大体記事で意見を述べるのは『財政危機派』が殆ど)、それから『財政危機否定派』の 三橋貴明氏や三橋氏と考えの近い学者の意見を探して、それを比べ合わせて見て、如何すれば日本にとって良い結果がでるのか考える、という事はいつもやって いるのですが…。最初はそれでいいんです。

個人的な感覚

大事なのは、あくまで「それが本当に正しい事なのか。事実なのか」
 という疑問を常に持つことであって、ネトウヨやサヨクのようにその疑問点をなかったことにすることではありません。
  例えば、「従軍慰安婦」なるものの存在は保守論壇でもちゃんと認めているのに、左翼は「従軍慰安婦を認めていない」という。なぜか。これを認めていると 「認めてしまう」と、自分たちが攻める論拠がなくなってしまうからです。

保守論壇は「慰安婦の国家による強制連行は『証拠がない』ので非常疑わしい」と論 じているのに対して、「証拠はあるのだから認めろ」という。そうすると、「どこに証拠があるのか教えてほしい」といえば、それには応じずに「だから、戦後 賠償をしろ」というわけです。

 そして、戦後賠償というものについても、請求権を放棄している条文が明確にあるのに、「都合が悪い」と、それを完全に無視しますよね。そこを指摘すると、自分たちの論拠がなくなってしまうからです。
 個人的な感覚でしかありませんが、憲法がそうですよ。「9条を変えたら何がどうなって戦争にたどり着くのか」と尋ねると、きまって「あなたは大事な人を戦地に送りたいのですか」という答えが返ってきますよ。
 何が言いたいか。

素直に手を挙げる事

私の疑問に対して、素直に「分からない」とか「そういう意見もあるよね」という風にまず内側から変わることで、もしかしたら変わるかもしれませんが、都合 の悪い事にはすべて蓋ですからね。道は果てしなく険しいかもしれません。自分自身にとっては、かなりキツイっす。
そ れはさておき、 今回述べてくれた文章と同様の言葉をサヨクな人達が、自分の様な 『ネトウヨ』達に向けて発言し続けているんです。確 かに自分の様な『ネトウヨ』は保守系知識人と比べて未熟で、仕入れる情報も発信した文章も偏っていて、 傍から見れば『素人』そのものだから、サヨクな人 達からは『ネトウヨは、自分の都合の悪い情報を全て無視している』と言われ続けても、反論は難しいです。 (一応は反論しているんですが…)
世間でサヨク的意見が大多数でも、その意見が本当に正しいのか調べて見ない内は、素直に手を挙げる事は出来ませんよ。勿論その際は、自分にとって都合の悪い事でも受け入れる覚悟はあります。確かに逆に置き換えれば、同じになると思います。